戦艦大和の建造ドック、「この世界の片隅に」の哀しいシーン「歴史の見える丘」(日本遺産・呉旅行)

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世界最大の戦艦「大和」を造ったドックが見える「歴史の見える丘」

数年前、一人旅で呉に来て、初めてここに立ったとき一瞬で虜になった場所「歴史の見える丘」です。

呉港のすぐ横を走る国道487号線、その道を挟んで小高くなっている場所にあり、最大の戦艦「大和」を造ったドックや、旧呉鎮守府庁舎、そして呉の山と海が一望できる場所。ここも日本遺産に指定されています。

 

戦艦大和を建造したドック:歴史の見える丘

歴史の見える丘:呉旅行

 

現在もドックとして使われています。

 

そしてこちら、JMU「大和のふるさと」と書かれているところが、戦艦大和を造ったドックです。ドック部分は埋められていますが、建物としての上屋(骨組み)は残っています。戦艦大和は秘密裏に造られていたので、屋根がついていたドックで造られていました。

 

「この世界の片隅に」の哀しいシーン

右手側、国道を挟んで眼下に大和が造られたドックがあります。この壁は戦時中はもっと高くなっていて港は見えないようになっていました。

「この世界の片隅に」ですずさんが姪っ子を連れて歩いているときに、時限爆弾で右手と姪っ子を失ってしまったシーンがこの道沿いになります。

 

歴史の見える丘公園にある碑

歴史の見える丘公園は広さとしてはあまり広くありませんが、様々な歴史が見える碑が建てられています。

噫(ああ)戦艦大和塔

第30回大和進水日(8月8日)を記念して1969(昭和44)年に呉大和会によって建てられた碑です。歴史の見える丘 呉 日本遺産 呉旅行

 

旧呉海軍工廠礎石記念塔

旧呉海軍工廠の礎石と旧海軍呉鎮守府開庁当時の庁舎に使われていたレンガで造られた記念碑となります。

歴史の見える丘 呉 日本遺産 呉旅行

 

造船船渠(せんきょ)記念碑

平成四年に戦艦大和を造ったドックを埋め立てることになったとき記念に造られた碑です。大和のドックで使われていた建材を使って作られています。

 

正岡子規句碑

「呉港 呉かあらぬ 春の裾山 灯をともす」

 

1895(明治28)年に正岡子規が友人である古嶋一雄氏が海軍従軍記者として軍艦松島に乗り込んで出征するのを見送ったときに詠んだものということです。

 

澤原為綱扇之像

歴史の見える丘 場所・行き方など

住所:広島県呉市宮原5丁目
駐車場 :無し

歴史の見える丘までバスの場合は
・呉探訪ループバス「子規句碑前」バス停下車、徒歩約1分
・広電バス・昭和町経由・音戸倉橋方面または坪の内経由・鍋桟橋行き「子規句碑前」バス停下車、徒歩約1分

WEBページ:歴史の見える丘 – 呉市ホームページ

 

 

(*)情報は掲載時または旅行した日のものとなります

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