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東日本大震災後に仮設飲食店街としてできた釜石はまゆり飲食店街
釜石駅近くにある釜石はまゆり商店街にも足を運んでみました。ここは東日本大震災後の2011年12月に、震災で被害を受けた飲食店の方たちのために仮設で作られたものです。
呑ん兵衛横丁と居酒屋&スナックと大きく2つに分かれています。
私が行ったのが平日15時前という中途半端な時間だったので、人はあまりいなかったのですが、数多くの店舗が並んでいました。
「勝手に元祖 釜石焼きそば」というのも気になるところです。食べてみたかった。
そもそも釜石の呑ん兵衛横丁とは?
この吞ん兵衛横丁にきたときリアルタイムでFacebookに投稿していましたら、釜石に所縁のある友人がコメントで教えてくれました。
「鉄工所が栄えていたころ、海沿いに大人の街としてあったのがこの吞ん兵衛横丁。その後、高炉の火が消え街が寂しくなり、2011年の震災ですべてが流されてしまった。そしてここに復活した。」と。
「高炉の火が消えた」のっていつ頃だったんだろうと思い調べてみましたら1989年のようですね。
高炉の火が消えてから7年後に最後の高炉を取り壊した際のニュース映像がこちらにありました。
ニュース映像の中では釜石市を以下のように説明されています。
「釜石市は江戸時代末期に日本で最初の洋式高炉が造られた町。近代製鉄発祥の町として百数十年に渡って鉄とともに歩んできた」
さらに昭和45年の釜石の様子がわかる映像を見ると、栄えていた様子もわかります。
その他、こちらの記事などで釜石の歴史に触れることができました。
■近代製鉄発祥の地|えんとらんす
■地方の希望ー釜石の調査ー |東京大学社会科学研究所のレポート
2018年3月に撤去が決まっている釜石はまゆり飲食店街
この吞ん兵衛横丁を含む釜石はまゆり飲食店街は2018年の3月に撤去することが決まっており、市は別の場所に移転を計画しているそうです。
こちらの記事によると移転にかかる個人が負担する費用が高く、移転しての出店は難しいお店もあるそうです⇒仮設で営業の呑ん兵衛横丁、再び存続ピンチ|YOMIURI ONLINE
さまざまな事情があり環境もあるかと思います。少しでも多くの人にとって良い方向で話が進むことを願っております。
釜石はまゆり飲食店街~吞ん兵衛横丁 住所・営業時間など
住所:岩手県釜石市鈴子町14(スーパーMAIYAとK’s電気の前)
営業時間などは各店舗により異なります。