大和ミュージアムで日本のものづくりと平和を学ぶ (日本遺産 呉)

スポンサーリンク

10分の1サイズで忠実に再現された戦艦大和 大和ミュージアム

呉市と言えば大和ミュージアム、大和ミュージアムと言えば10分の1サイズで再現されている戦艦大和。

その戦艦大和は大和ミュージアムの中央に展示されています。

 

大和ミュージアムが伝えたいこと

今回の旧軍港市日本遺産 プレスツアー呉での最初の訪問先となったのが、こちらの大和ミュージアムです。

ボランティアガイドの兼森さんに案内していただきました。

大和ミュージアムが伝えたいこと4つ「歴史、平和、科学技術、ものづくり

今回はものつくりと平和についてのお話です。

 

 

10分の1大和を観に世界中から集まる人々

年間100万人が訪れるという呉市の大和ミュージアム。日本国内に4000以上ある博物館の中で入場者数が第9位に入るそうです。ちなみに広島の原爆資料館は5位。

10分の1大和は三井造船 玉野工場にて、2億1千万円をかけて造られたもので、「ここまでお金をかけたからこそ、世界中から何度も見に来てくれている」とボランティアガイドの兼森さんはおっしゃっていました。

 

戦艦大和は設計図が現存しないため、正確な姿が分からない部分もあり写真を見ながら作っているそうです。そのため海面より上の姿は再現できていますが、潜水している箇所は分からない部分が多いそう。

完成して13年が経った10分の1大和ですが、新しい発見があるたびに変えているので既に200回以上姿を変えているそうです。

 

一昨年、沈んでいる大和を潜水調査をしたときに、それまではなかった機関銃が発見されたため、また数年のうちにこちらの10分の1大和にもつくでしょうということでした。

「10分の1大和は常に進化している」

そう兼森さんはおっしゃっていました。

 

実物の戦艦大和は2回姿を変えている

戦艦大和は2回大きく姿を変えているそうで、展示されているのは最後の形、昭和20年4月7日沖縄に行ったときの形を忠実にこだわりをもって再現してあるそうです。

例えばレイテ沖海戦のときに造られた台は角が丸く、沖縄の特攻時には丸くする余裕もなく角張った形状だったところも再現されています。

 

戦艦大和の大きさ

・長さ263メートル 在来線だと13輌編成分の長さ

・幅38.9メートル 大型観光バス 16台分の幅

・高さ 57メートル 19階建てのマンション相当

・時速51km

・馬力 15万3千馬力ジャンボジェットが4つエンジンを搭載していて10万馬力

 

 

戦艦大和が国家予算に占める割合

昭和12年の国家予算が47億円のところ、戦艦大和は国家予算の3%を占める1億3800万円かけて作られたそうです。

当時は国家予算の約70%が軍事費 に使われていた時代。それだけ国全体が戦争に向かっていたんだと実感する数字です。

 

 

 

戦艦大和の特徴4つ

146センチ砲 3連装が3つ

砲弾の長さ1.98m、重さ1.46t 42キロの距離を90秒で飛ぶ。(42キロの距離は東京→八王子、東京→藤沢、東京→千葉県佐倉)

 

 

2・球状艦首(バルバス・バウ)

バルバウバウとは艦首が球状にえぐれている形のことで、これによって

・方向転回しやすくなる

・攻撃目標のリスクを減らすことができる

・水の抵抗を減らすことができる(造波抵抗が約8%減少)

これだけでも大和がいかに当時の最先端技術を集結させていたものなのかがわかります。

バルバスバウはアメリカから入ったものですが、ここまでカーブしているのは戦艦大和が初めてで、その後から現在に至るまで船首の形はこれが一般的となっているそうです。

 

3・防御力の強さ

戦艦大和の特徴の一つとして挙げられるのが防御力の強さだということで、対魚雷策としては側面部分に厚さ41cmの鋼板や、46センチ砲の砲台の側面は65センチの鋼板、そして司令塔となる部分には50センチ厚さの鋼板が使われているそうです。

防御だけの重さで21,266トンとなり、全重量の3分の1を費やしていて過去にそこまでの防御力の戦艦はなかったということです。

 

4・艦内部に気密性に優れた1147の区画

このように細かく区切られているため仮に水が入って傾いた場合、同じ量を反対側に水を入れることによって水平を保つことができる作りになっているのも大和の特徴。

細かく区切れられているので仮に水が入っても他の部屋が浸水することはないのですが、逆にこれが悲劇をうみ、沈んだときに閉じ込められてしまった人が多く、今でも海底の大和の中にはたくさんの御遺骨が眠っているそうです。

 

 

このように1~4の特徴をもつ戦艦大和は世界最大・世界最強の浮沈戦艦と言われていたそうです。

 

 

「この世界の片隅に」でも分かる秘密裏に造られていた戦艦大和

別ページで歴史の見える丘をご紹介しますが、戦艦大和のドックには屋根がついていたなど、かなり秘密裏に進められていたことが分かります。

呉工廠を見下ろせる山への立ち入りの際には許可証も必要でした。

 

 

この世界の片隅に」で、すずさんが呉の海と艦影写生していたときに、憲兵さんに捕まり激しく怒られるシーンがあるのも納得です。

通常、新しく艦艇ができたときは進水式をし記念品が関係者に配られるのですが、戦艦大和のときは他国にばれてしまうとそれさえもせず、こちらの記念品は作っただけで配られなかったそうです。

 

 

戦艦大和には滑走路がなかった

大和に飛行機 は搭載されていましたが滑走路はありませんでした。そのため飛び立つときはシリンダの後ろに火薬をつめてワイヤーをひき反動で飛ばし、戻すときは着水した飛行機をクレーンで引き上げていたそうです。

 

戦艦大和に関する資料は現存するものが殆どない

唯一残っていた大和の設計図の一部

 

戦艦大和は国の総力を挙げて、さらに極秘裏に造られたため、終戦時に殆どの資料が焼却されたそうです。しかしそのような命令の下でも「どうしても残しておきたい」と個人で秘蔵してくれていたものが今、大和ミュージアムに集められています。

大和ミュージアムのサイト、館長ノートVol.15 大和ミュージアムの大和資料 というページに、大和ミュージアムを開館するにあたり手を尽くして集められた資料の話が掲載されています。

 

大和を護衛した第二艦隊第二水雷戦隊

大和を護衛した第二艦隊第二水雷戦隊は9隻。そのうちの5隻が沈没して981名が戦死されたそうです。

 

 

 

終戦時、唯一自力航行できていた「長門」

呉海軍工廠で建造された戦艦「長門」は、日本海軍の軍備拡張計画「八八艦隊」の一番艦として大正9(1920)年に誕生したもの。世界初の41センチ砲を搭載して高速で航行することが可能だったため、世界の海軍の歴史に大きな影響を与えていたそうです。

終戦時には航行が可能だった唯一の戦艦が「長門」だったものの、アメリカにとられてしまし最後はビキニ環礁でおこなわれていた核実験の標的となって沈んでしまいました。

 

長門の軍艦旗を3枚持っていた個人の方が13年前に来日し、TV番組「開運!なんでも鑑定団」に出品したところ、石坂浩二さんが1000万円で落札し、大和ミュージアムに寄贈。
来月から始まる長門の企画展でもその軍艦旗が展示されるそうです。

■第26回企画展「戦艦長門と日本海軍」平成30(2018)年4月25日(水) ~ 平成31(2019)年1月20日(日)

 

 

小型特攻ボート「震洋」

小型特攻ボート「震洋」 呉旅行 大和ミュージアム

昭和19年頃になると鉄もなくなっていたため、震洋一型艇は木造ベニヤ板。

この小型木造モーターボートの先端に250キロ爆弾を積んで敵の艦艇に突っ込んでいくという特攻船は全部で6197隻造られ、1238名が亡くなったそうです。

この話を聞いて、戦争後期はかなり追い込まれていた状況であったと感じざるを得ません。

 

 

大和ミュージアムに展示されている実物の零戦

大和ミュージアムにある零戦は、終戦直前の1945年8月にエンジントラブルで琵琶湖に不時着し沈んでいたものを1978年に引き上げ、その後修繕したものが展示されています。一番新しい62型の本物は大和ミュージアムにしかないそうです。

 

当時は皇記の年数を名前につけていたため、零戦の“ゼロ”は、皇紀2600年(昭和15年)の2600のゼロからとってつけられたもの。設計はスタジオジブリの作品「風立ちぬ」で主人公となっていた、天才 航空宇宙工学技術者 堀越二郎氏です。

 

この時期の零戦はとにかく軽量化が求められていて、住友金属が開発したアルミ合金と一部は布でできているところもあります。また機体と羽が一体化しているのも特徴だそうです。

 

 

 

個人的には3回目となる大和ミュージアムですが、いつもこの零戦では操縦席を意識的に見て、この席に座っていた方のことを考えるようにしています。

 

今回は時間も1時間と限られていたので、大和から日本のものづくりと平和についてお話を聞くツアーとなりましたが、大和ミュージアムには呉の歴史、空襲の様子などが展示されているコーナーなどもあります。

 

わたし個人としても、呉旅行ではぜひ行って欲しいおすすめの施設ですし、また自分も来たいと思っています。

 

 

大和ミュージアムの見学ガイド・音声ガイド

過去2回は一人で大和ミュージアムの館内をまわり見学をしましたが、今回はじめてガイドの方の案内を受けながら見学をしました。やはり展示されているものを見るだけでは分からないことをたくさん教えていただけたので、初めて行く方にはとくにおすすめします。

大和ミュージアムのボランティアガイド

館内には青いベストを着たガイドの方が常駐されているので、その方に気軽に声をかけていいそうです。また1日2回ガイドの方が案内してくれるツアーも実施されているそうですので、そちらに参加するのも良いと思います。詳細は⇒大和ミュージアムボランティアガイド

大和ミュージアム音声ガイド

以前よりニンテンドーのDSなどを利用しての館内案内システムがあった大和ミュージアムですが、今年の2月から新しくスマートフォンやタブレットを利用した音声ガイドがはじまったようです。今回は利用しませんでしたが次回使ってみたいと思います。詳細は⇒大和ミュージアム 音声ガイド

 

大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館) 時間・休館日など

住所:広島県呉市宝町5-20

電話:0823-25-3017

アクセス:呉港から徒歩1分・呉駅から徒歩5分

営業時間:展示室・ミュージアムショップ  9:00〜18:00(展示室入館は17:30まで)/ライブラリー  9:00〜17:00

定休日:原則火曜日ですが、開館カレンダーでご確認ください

(*)情報は掲載時または旅行した日のものとなります

「呉旅行ブログ 」カテゴリの関連記事