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原町無線塔から現在の億・原町無線塔へ
南相馬市の原町にはかつて町の人のシンボルとなっていた「無線塔(磐城国際無線電信局原町送信所)」があったそうです。
1921年(大正10年)に完成した無線塔は、高さが201メートルあり、その当時はアジアで最も高い建築物でした。
1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が発生した際に、第一報を無線通信によってアメリカに打電し、これにより震災のニュースが世界中に伝わった
偶然ですが、南相馬に行く数週間前にテレビを観ていて、”関東大震災が発生したとき無線で海外に伝わり、どこかの国の街頭にある募金箱に道行く人が募金をしている古い映像”を観ました。それがこの原町の無線塔から発信されていたのですね。
調べたところ、おそらく個人の方が運営されているYou Tubeチャンネルに、解体前の原町無線塔の8ミリ映像が残っていました。
解体された無線塔
こちら▼の画像は、別記事でご紹介した「まちの駅 野馬追通り 銘醸館」の施設に掲載されていたものです。コンクリート作りだった無線塔は老朽化により、1981年(昭和56年)から翌年にかけて解体されたそうです。
そして現在は「億・原町無線塔」
1982年(昭和57年)3月に解体が完了した無線塔でいたが、市民からシンボルだった無線塔を惜しむ声が多かったため、同年の10月に10分の1スケールのミニチュア無線塔「億・原町無線塔」が作られたそうです。
ミニチュアと言っても20メートルはあるので、十分に大きな「億・原町無線塔」です。この10倍の高さだったので、元の無線塔は本当に大きく、高い建物が少ない南相馬の中ではかなり目立つ存在だったことが想像できます。
日本とアメリカ、そして世界を結ぶ無線塔が南相馬にあったなんて、ここに連れてきてもらわなければ知ることもなかったと思います。ありがとうございました!
(*)今回の南相馬への旅は #南相馬市PR #南相馬米 のお仕事で呼んでいただいたものとなります。