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富士山の噴火を契機につくられた「河口浅間神社」
母の白滝のあとは、車で8分ほどの場所にある「河口浅間神社」へ行きました。
ここは、2013年6月25日に「富士山 世界文化遺産」の構成資産の一つとなった場所で、それほどに富士山との関係が強い場所です。
平安時代の864年(貞観6年)に噴火した富士山。京の朝廷の勅令によって、噴火を鎮めるために翌年の865年に建てられたのが、この河口浅間神社だそうです(詳細後述)
冠木(かぶき)門
河口浅間神社の入り口で、バス通りと参道の境界線になるのが、この門柱です。
大鳥居の後ろに木が茂っています。かなり気温が高い日でしたが、鳥居をくぐってからこの木々のおかげで日陰となり、空気がガラッと変わったのを感じました。
河口浅間神社の歴史
この日、私たちが参拝をしていると、近くにいらした氏子総代の方がいろいろ説明してくださいました。
ちなみにこの方が氏子総代の方だというのは、あとから境内にいらした別の方から聞いて分かりました。写真を掲載していいか否か御本人に確認しそこねましたので、あえてお顔が映っていない写真で掲載いたします。
河口浅間神社のこと、その歴史を詳しく教えていただき、総代の方のお話しによって、一気に興味をもつことができました。ありがとうございました。
約1200年前に噴火したのは、現在の青木ヶ原樹海の上あたりで、山梨側に溶岩が流れて一つの石花海(せのうみ)という大きな湖が現在の本栖湖、精進湖、西湖に3分割されたそう。
静岡側には既に神社があったのに、甲斐のほう(山梨側)にはなかったので、噴火を鎮めるために京の朝廷から作るようにと勅令が出て噴火の翌年に作られたのが、この河口浅間神社。
噴火のとき、河口湖が溶岩をとめてくれたため、富士五湖より南は今も溶岩土なのに、こちら側(河口浅間神社のあたり)は、溶岩が流れてこなかったので、通常の土壌だそうです。
美麗石(ひひらいし)
河口浅間神社の「元宮(大もとのお社)」的存在で、先に行った白糸の滝と今の河口浅間神社の中間くらいの場所で発見されたものだそう。
縄文時代の遺跡「塚越遺跡」
バイパス工事のときに出土し移設した4千年前の縄文時代のものと思われる遺跡です。
一般的な縄文時代の住居は竪穴式住居ですが、これは石が敷き詰められている祈りをする場所として建てられた建物だろうと推定されているそうです。このような遺跡から、4千年前から富士山の神様という存在があったとも考えられています。
遺跡の解説↓
河口浅間神社の七本杉
河口浅間神社は参道に数々の杉の木やかえで、もみの木などが見られますが、その中でも目につくのは注連縄(しめなわ)が掛けられている、大きな大きな7本の杉の木です。
「七本杉」と呼ばれていて、どれも樹齢1200年で高さは40から50m弱、山梨県指定の天然記念物となっています。
1号杉から7号杉までそれぞれ命名されており、この5号杉と6号杉は2本セットで両柱(ふたはしら)杉。
根が1つで1200年も寄り添っているので、縁結び・良縁の神徳のある御神木とされているそうです。
河口浅間神社のお土産
河口浅間神社の境内で買ったお土産です。
樹齢1200年の7本杉から剥がれた木の皮をストラップにしたお守り。
河口浅間神社の里で作られた古代米もお土産として購入できます。
予備知識なく伺った河口浅間神社でしたが、総代の方のお話でいろいろと知ることができ、興味深く参拝することができました。ありがとうございました。
ちなみに参道前にカフェもありました。
参拝のあとの一休みに良さそうな雰囲気でしたよ。
河口浅間神社
住所:山梨県南都留郡富士河口湖町河口1番地
参拝時間 自由(社務所の窓口 9:00~16:00)
公式サイトhttps://asamajinja.or.jp/