旧軍港市日本遺産~鎮守府があった四市のストーリーとは

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日本遺産に認定された旧軍港四市 鎮守府 呉 プレスツアーに参加

2015年、2017年と一人旅で来てお気に入りとなった広島県の呉市。今年も行こうとしていたところに、ありがたくもプレスツアー(ファムツアー)のお声かけをいただき参加してまいりました。今回のプレスツアー(ファムツアー)は、日本遺産に認定された旧軍港四市(鎮守府があったまち)横須賀、呉、佐世保、舞鶴の4つの市の中の、呉市を視察するというものです。

全行程でガイドの方の詳しいお話を聞き、また資料もいただいたりして、いつもとは違った視点で呉を観ることができました。

 

今回の私の記事では、呉の観光スポットとして魅力をご紹介しつつ、その日本遺産としての視点からも分かりやすく、呉をまだ未経験の方でも想像していただけるようご紹介したいと思います。

日本遺産とは?

世界遺産ならよく耳にしますが、そもそも日本遺産とは?

文化庁が平成27年に創設した事業で

「日本遺産(Japan Heritage)」は(地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。

ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。

文化庁ホームページより引用

 

 

日本遺産はこの“ストーリー”という単語がキーワードとなります。一つの物や建造物のようなものを認定するのではなく、地域の歴史や特徴を元に語れるストーリーがあること

 

そして日本遺産には単独の地域だけでなく、今回の軍港4市のようにいくつかの地域にまたがっている日本遺産がいくつもあります。

これまでに認定された日本遺産の一覧は文化庁のこちらのページで確認できます。

 

そして今回の旧軍港四市(呉・横須賀・佐世保・舞鶴)は軍港(鎮守府)があったからこそ、他の地域とは違った形で発展してきて、そのストーリーが日本遺産に認定されたということ。

 

日本遺産 旧軍港4市のストーリーとは?

明治維新があり「富国強兵」ということで西欧の国々と対等になるために明治17年(1884年)に横須賀に鎮守府(軍港に置かれた海軍の拠点)を設置し、明治22年に呉と佐世保、明治34年に舞鶴と4つの鎮守府が開庁しました。

 

この4つの地域の地理的な特徴は山に囲まれていて、湾の入り口は敵が入りづらい形、そして水深が深い穏やかな入り江であることなどが条件だったそうです。

だからその後の発展、近代化も4市は似ているのだそう。

インフラ整備

海軍が利用するための水の確保。そのために水道が整備されたり、陸路も他の地域より早くに鉄道が敷かれていました。

 

また建物はそれまでレンガが主流だったところ、鉄筋コンクリート造りの建造物の導入が早かったのもこの鎮守府があった地域だそうです。

 

日本における洋食文化のはじまり

当初の海軍の食事は炭水化物メインが多くビタミンやミネラル不足から“かっけ”になる人も多かったそう。そこで海外の人との交流があった海軍として、洋食文化を取り入れたのが日本の洋食文化のはじまりと言われているそうです。明治41年に舞鶴海兵団が発行した『海軍割烹術参考書』には洋食レシピが100種類以上掲載されているそうで、もちろんカレーもその一つです。

次の記事で鎮守府があった呉の特徴についてご紹介します。

>> 鎮守府があった呉の特徴と呉市の日本遺産

 

(*)情報は掲載時または旅行した日のものとなります

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