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世界遺産:北米唯一の城郭が残る都市ケベックシティの観光おすすめ
北米で唯一の城郭が残る街として世界遺産に認定されているカナダ ケベック州のケベックシティ旧市街。4.6kmにも続く城壁が、この街の歴史を物語っています。
Photo Credit:Guy Lessard
ケベックシティの旧市街としてあるのがロウワータウンとアッパータウン。ロウワータウンには、ここまでご紹介してきた1608年にフランスからきたサミュエドシャンプレインがヌーブルフランス(フランスの植民地)として毛皮貿易をはじめたロワイヤル広場や、北米最古の商店街として残っているプチシャンプラン通り。
そしてアッパータウンには、そのサミュエドシャンプレインの像が立つダルム広場や、ケベックシティのランドマーク的存在、古城のようなホテル「シャトーフロントナック」と、まさにケベックのひいてはカナダの歴史がギュッと詰まった場所なのです。
ケベックシティになぜ城壁が作られたのか
こちらの記事【3人のフランス人の名前が刻まれている「ケベック州議事堂」から見る歴史】フランスの三人でご紹介したように、先住民が住んでいたこの地に1535年にジャックカルチェ、そして1603年にサミュエル・ド・シャンプレインがやってきてからはフランスの植民地だったケベック。
しかし同時期に北米の東海岸で植民地の建設を進めていたイギリスにより、1629年から攻撃され、1759年のアブラハム平原の戦いまでこのケベックをフランスとイギリスの間で争っていました。その間にイギリスの攻撃から守ろうとして造られたのが、この4.6kmに渡る城壁ということです。
なぜフランスもイギリスもケベックを欲しがった?
なぜフランスもイギリスもこのケベックを欲しがったのか。
400年前の交通手段は船。ケベックを流れるセントローレンスの北西は河口だけで100kmありヨーロッパに向かって広がり、800km上流はオンタリオ湖のナイアガラの滝で川を上ればアメリカの中心に行けるそうなのです。
そんなセントローレンス川がここケベックでは川幅が狭まり1kmのみ。この川幅が狭まったケベックは防衛しやすく、「ここをものにすれば上流側も下流側もすべて自分たちのものになる」いうことでフランスもイギリスもこのケベックを欲しがったそう。それがヌーヴェルフランス(フランスの領土)となったあとに何度となくイギリスに攻められてきた理由。
ちなみに、先住民族(アルゴンキン族のインディアン)の言葉で「狭い」という意味が「チェベッケ」で、それがケベックの語源だそうです。
さらにガイドのかたに教えていただいた話をここに残しますと、セントローレンス川、ローレンシャン高原は同じ語源で名付け親はジャックカルチェ。
西暦3年8月10日公衆の面前の火あぶりされ殉教したローマの聖人ラウレンティウス(イタリア語でサンロレンツォ)という人がいて、ジャックカルチェがこの川に着いたのが、1534年8月10日で「今日はサンロレンツォの命日だから彼の名前をつけよう」となりセントローレンス川という名前になったそうです。
ダイヤモンド岬の前にあるボードウォークは、古城のようなホテル「シャトーフロントナック」の前にある「テラスデュフラン」まで約700メートル繋がっていて、総督の散歩道と呼ばれています。あと1日あったら早朝に歩いてみたかった場所です。(反対方面に散歩に行っていました…)
最終的にはイギリスがアメリカから守るために完成した要塞シタデル
フランスがイギリスの攻撃から守るために作り始めた要塞シタデル。しかしフランスは資金調達がうまくいかず途中で断念していたそう。その後、ケベックがヌーヴェルフランスからイギリスの手に渡り時代が変わり、最終的に完成させたのはイギリス。
1775年から今度はこの地を狙ったアメリカの存在があり、アメリカから守るために1820年から1831年の間にイギリス軍がシタデルを完成させたそうです。
この奥にあるシタデルは上から見ると函館の五稜郭のように星型をしています(参考画像)
シタデル 軍事博物館 観光ツアー
現在もカナダ陸軍22連隊(バンドゥーズ)の駐屯地となっていて、北米最大規模となる現役の軍隊が駐屯している要塞です。
現役の軍隊が駐屯しているので、中はフリーでの見学はできずガイド付きのツアーが開催されているそう。
時間:5月から10月:午前9時から午後5時/11月から4月:午前10時から午後4時
定休日:12月25日および1月1日
入場料:大人16ドル(約1,300円)
6月24日から9月上旬ののレイバーデーまではイギリスのバッキンガム宮殿前で観られるものと同じような衛兵交代も観ることができるそうです。
またネットにあった情報によると、敷地内のマーテロ塔第一では夏季には歴史に関する展示が行われており、入場料を払うとiPadを渡され、それをかざすと歴史に関するアニメーションなどが表示され分かりやすいようになっているそうです。
次に行けるチャンスがあれば是非に行ってみたい場所です。
Googleマップのストリートビューではシタデルの入り口などは観られるようになっています。
戦場公園(アブラハム平原)
英仏戦争最後の土地、アブラハム平原は現在「戦場公園」として一般に開放されています。
長年続いていたケベックを取り合っての英仏戦争、最後の戦いは1759年9月早朝にセントローレンス川側から奇襲攻撃をかけたイギリス軍の圧勝で15分で終わってしまったそうです。
戦場公園には砲台なども残っていてGoogleマップのストリートビューで確認することができます。
緑の芝生が続く公園でどこからどこまでが戦場公園なのか判断つかず、バスで移動しながら観ていたものでもしかすると戦場公園から外れているかもしれないのですが、印象に残ったシーンを見かけたのでご紹介します。
公園で赤と青のビブスを身につけた子供たちです。
青はフランス軍、赤はイギリス軍を現わしていて歴史の授業だそう。
歴史を知るとその土地のことがもっと好きになる、国内外問わず旅行のときにいつも感じているのですが、城壁に囲まれたケベックシティ旧市街はついていただいたガイドのかたが歴史を詳しく教えてくださったので、いつも以上に興味深く観ることができました。
いつの日かまたケベックシティに行き、城壁をぐるっと一周してみたいです。(ちなみに サン・ルイ門の上もGoogleマップのストリートビューで見ることができます)
Photo Credit:OTQ
サン・ルイ門/シタデル ケベックシティDATA
サン・ルイ門
住所:100 Rue Saint Louis, Quebec(地図)
(ダルム広場から徒歩10分)
シタデル
住所:1 Cote de la Citadelle, Quebec(地図)
(ダルム広場から徒歩15分)
≫≫ 公式サイト
ケベックシティ観光 歴史についてご紹介したブログ記事
*本記事はカナダケベック州観光局のプレスツアーでの記事になります。